人生で大切なものを失ったときに読んでほしい記事

大切な人たちとの関係を断とうとしたことはありますか。

仲間を切り捨てようとしたことはありますか。

一つのことに夢中になりすぎて大事なものを失ってしまったことはありますか。

私は、あります。

大学時代に、当時人生をかけていたゼミ活動。私は、ゼミ長を務め、自他共に認める最高のゼミとなりかけがえのない思い出です。

私にとって一生付き合っていきたいと思っていました。

それを私は自ら断ち切ろうとしていた時期がありました。

自信をなくしていた時期で、自分のことしか考えず、大切な人を傷つけてしまいました。

人生で初めて”後悔”した瞬間だったと思う。




自分にとって大切なものは何か考える

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当時、勢いで会社を辞めて起業をして成功するんだと調子に乗っていました。

稼いで、自由な暮らしをする事が人生の成功だと思いこみ、それ以外は不要なもの。

遊んでいる時間はないと言い聞かせ、周りの声に耳を傾けることはありませんでした。

もちろん、大学時代の友人ともだんだん連絡を取らなくなりました。

一生懸命積み上げた信頼や思い出を自ら捨てることに、何の後ろめたさも、後悔もなかった。

今思うと、本当に恐ろしいことです。

成功に執着し、”自分らしさ”を失い、壊れていった自分がいた。

金・自由・好きな仕事・車・タワーマンション・海外旅行

誰しもが一度は憧れる対象だと思う。これらを追い求めること自体は否定しない。

ただ、【大切な何か】を犠牲にしてまで追うべきものか考えることを強く勧める。

私自身、何も手にしていないため、ただの”負け惜しみ”になってしまうが、どれだけ物で満たしてもきっとキリがない。

ただの紙なのに、なぜ人は金を求めずにはいられないのだろうか。

都内では、全然性能を発揮できないスポーツカーに乗りたがるのだろうか。

一人では広すぎるほどの住宅にすみたがるのだろうか。

これに対する正しい答えなんて存在しないだろう。【考え方と都合に依る】

ただ一つだけ断言できる事がある。

ゼミの仲間との関係を犠牲にして、上の全てを手にする事ができると言われても即断る。

これだけは確かだ。

いつの日か、全て手に入れてもなお、仲間の方が大切だと証明したい。

【大切なもの】は失った後に気づく

陳腐な表現だけど、本質的だ。

映画やアニメのワンシーンで使われるようなフレーズである。

しかし、この意味を体験として知っている人はそれほど多くないのではないだろうか。

日頃、大切だと思っていてもどこかでその存在は当たり前になっている。

家族、仕事、恋人、家、仲間、車・・・etc 対象は人それぞれだ。

すなわち、【大切さ】に気づいていない。

普段からこれに気づいている人がいれば、本当にすごい事だと思うし、思われている方はこれほど幸せなことはない。

どうすれば失う前に【大切さ】気付けるのか。

わからない。

しかし、もう一度自分が同じ状況になったらどうするかはわかる。

深く考えることだ。

自分のこと、自分以外の人、大切な人のこと。

私の場合であれば、大学時代から社会人として過ごしてきた時間を噛み締めることだと思う。

過去の栄光にすがるように見えるかもしれないが、どれだけ大切か再認識するためだ。

なぜなら、何かに向かって突き進んでいるときは、総じて冷静さと客観的視点が欠如している事が多い。

一度立ち止まって、今の自分を見直すだろう。私は急ぎすぎていた。

【失う】という体験はかなりしんどかったが、私にとって貴重な財産だと思う。

それは、最後まで【仲間】が私を見捨てなかったからだ。

今こうして記事を書けるのも、【仲間】待っていてくれたから。

一度失ったと思ったものが、いまちゃんと手の届くところにある。

この時の安堵感は何物にも代えがたい感覚だった。

結局、バタバタしていたのは自分だけだった。

人生で絶対譲れない【大切なもの】はありますか。

大切なものがあっても、それを守れるだけの力も必要だと最近考え始めました。

絵本作家の西野亮廣さんは、自身の抱える6万人以上ものサロンメンバーを全員守ると日頃から言っています。

その言葉には、確かな重みをひしひしと感じます。

その言葉の根拠が、確かな実績が、血の滲む努力が、絶え間ない探究心が見えるからだと思う。

6万人とまではいかないけど、自分にとって大切な人をいつでも助けられるくらいの器でありたい。

お金で解決できることもある、自分の経験が人の役に立つこともある、ただそこにいるだけで心の支えになることだってある。

誰かにとってそんな頼られる存在でありたい。

自己満足だという視点もあるかもしれない。

しかし、それが私にとって【大切なもの】。【幸せ】なんだと思う。

だから、たとえ誰に批判されてもこの想いだけは譲れない。

どんなに歳を取ってもこれが自分の信念だと言い切ろうと思う。

時代が流れれば社会も人も変わっていくだろう。

それに合わせて人は変化しなければならない。変化を拒めば取り残される。

だから、【変えてよいもの】と【変えてはいけないもの】のバランスが必要になってくるだろう。

大学を卒業した年に、フェイスブックでこれと同じようなことを書いた覚えがある。

自分にとっての決意表明であり、備忘録である。

また、誰かにとってのきっかけとなることを心から願う。